「人間無骨(にんげんむこつ)」の由来と来歴をサクッと解説。
とても生々しくおどろおどろどしい名前のとおり、とても勇ましい逸話がありました。
そして所在についても調べた範囲でご紹介しています。
槍 人間無骨(にんげんむこつ)
号 | 人間無骨 |
銘 | 和泉守兼定 |
種別 | —– |
種類 | 槍(十文字槍) |
時代 | 室町時代 |
刀工 | 美濃伝 二代目和泉守兼定(之定) |
寸法 | 長さ38.5㎝、横幅35.2㎝ |
所蔵 | 個人蔵 写しは「赤穂大石神社」が所蔵。 |
写しは「赤穂大石神社」に現存し、少ないながらも見られる機会があるようです。
近時では、2018年4月~6月に、岐阜県博物館「兼定 刀都・関の刀匠」にて展示されたようです。
刀工 二代目和泉守兼定(之定)
- 二代目兼定は「定」の字を「㝎」と表したことから、「之定」(のさだ)と言われている。
1502年以降の作刀から、二代目の「のさだ」となっている。 - 実用性を重視する「末関(室町後期の美濃国関鍛冶を指す)」を代表する刀工。
関の孫六(孫六兼元)と双璧をなす腕前。 - 1493年~1526年頃に活躍。
1511年に「和泉守」を朝廷から受領。
刀工が「守(官職)」を受領するのは兼定が初めてで、異例のことだと言われる。 - 「最上大業物(切れ味が最も優れている)」と記され、江戸時代には「千両兼定」とも称された。
- 武将に大変好まれ、武田信虎、明智光秀、細川忠興など有名な戦国武将が愛用していた。
【「之定」の刀】
・歌仙兼定
・篠ノ雪
・鳴神兼定
*土方歳三の「和泉守兼定」は十一代目の会津兼定の説あり。
歌仙兼定とは之定つながりだね
美濃伝 関七流とは
- 「五箇伝」のひとつである、美濃伝の流派の一つ。
- 応仁の乱ののち刀の需要が増え、美濃国の刀工が栄える。
- 美濃国の関は砂鉄や粘土などの資源が調達できた。
- 関鍛冶たちは、作刀から流通を行う「鍛冶座」という自治組合を結成。
- その中には特に技量が高い「関七流」も属していた。
①「善定派」(よしさだは)②「室屋派」(むろやは)③「良賢派」(よしたかは)④「奈良派」(ならは)⑤「得永派」(とくながは)⑥「三阿弥派」(さんあみは)⑦「得印派」(えじるしは)
号と銘の違いは?
【号(ごう)】
作者や所有者の名前、由来や形状、逸話などのエピソードに関連してつけられる。
愛称のようなもの。
【銘(めい)】
作者や所持者、製作期間が入れられている。
ブランドやメーカーのようなもの。
人間無骨の特徴
人間無骨は「十文字槍」と呼ばれる槍です。 画像はこちら(wiki)>
三つ又の刃の真ん中が長く、両サイドの刃は切っ先に向かってカーブしており、「上鎌十文字槍」と呼ばれます。
「十文字槍」は、「突けば槍、払えば薙刀、引けば鎌」という便利な使い方があります。
しかしながら、刃の長さ約38.5cm、横幅約35.2cmに持ち手がつくことを考えたら、持ち主はかなりの使い手であり、体格もよくなければ使いこなすことは難しいと感じました。
▼大千鳥十文字槍の記事でもご紹介しています。
人間無骨の来歴 所在は?
1574年 | 織田信長の家来である森長可(森蘭丸の兄)が人間無骨で手柄を立てる。 |
1584年 | 家督を継いだ森忠政(長可の弟)に渡る。 |
播磨の赤穂藩主になった森家が所有。 参勤交代の大名行列のたびに掲げられる。 | |
1940年 | 森家に伝来 「紀元二千六百年奉祝名宝日本刀展覧会」に、「子爵森俊成」の所有名義で出展される。 |
現在 | 個人蔵 *終戦後、森家を出た説あり *旧三日月藩主の個人蔵説あり *人間無骨の写しは古くから作られており、森家の先祖を祀る「赤穂大石神社」所蔵。 |
写しは「赤穂大石神社」に現存し、少ないながらも見られる機会があるようです。
近時では、2018年4月~6月に、岐阜県博物館「兼定 刀都・関の刀匠」にて展示されたようです。
人間無骨 名前の由来
・表の塩首付近には「人間」、裏塩首付近には「無骨」の文字が彫られていることから。
画像はこちら(wiki)>
・「まるで人間に骨がないかのようによく切れる」ほどの切れ味から。
【切れ味が名前の由来になった刀剣】
・骨喰藤四郎
・へし切長谷部
・蜻蛉切
・小豆長光
など
人間無骨 逸話
「鬼武蔵」の愛槍
猛将「森長可」(もりながよし)は「鬼武蔵」の異名を持つ武将で、13歳で家督を継ぎました。
織田信長に仕えた名将で、弟の蘭丸は信長の小姓でした。
*「鬼武蔵」の由来
「鬼」は勇猛な武将に対してそう呼ぶことがあったため。
「武蔵」は、京に信長を訪ねた折りに、関所で止められた長可。
通してくれない役人に業を煮やし強行突破してしまった。
信長は怒るどころか「武蔵坊弁慶のようだ」と感心したエピソードから。
弟の蘭丸も信長の小姓だったことを考えると
とても有能な兄弟だったんだろうね
不動行光と同じ場にいた可能性もありますね
人間無骨を使用した「伊勢長島の戦い」では27の首級を挙げ、主君である織田信長から称賛されます。
長可が、敵の首を槍先に刺したまま茎を地面に突き立てたところ、首は刃を突き抜け、そのまま茎を通り抜けて地面に落ちたというエピソードがあります。
最期の時まで長可は人間無骨とともに戦い続けたそうです。
長可が銃で撃たれて死亡したのち、長可の首を探す敵兵にまぎれ、長可の小姓が長可の首と人間無骨を回収できたおかげで森家に帰ってくることができたのです。
気性が荒く猛将として有名な長可ですが、書を好み、文章を書くのも堪能であったと言われています。
茶道もたしなんでおり、道具収集にも熱心でした。
また、政務にも意欲的で商業の発展などに貢献しました。
歌仙兼定の主(細川忠興)と共通点を感じるね
織田信長の「人間無骨」
織田信長の「人間無骨」は「長船清光」作の刀のことです。
信長が家臣の長船清光で罪人を試し切りしたところ、「骨がないかのように」よく切れたため、それを「人間無骨」と名付けました。
後に信長の子孫にあたる出羽天童藩に伝来し、幕末に奥州盛岡藩士の小松原甚左衛門が実際に拝見したという記録が残っています。
刀剣男士 人間無骨
勇猛で無骨な容姿ながら、声は爽やかにも感じるほどはきはきしてて良き(声優さんの声が素敵)
文字を書くことや茶器にこだわるところは主の森長可の影響を受けてのことでしょう。
性格は、武人らしく多くを語らず無骨なイメージまんまです。
不動行光(森兄弟の話)、歌仙兼定(文字や文について)、和泉守兼定(之定つながり)、岩融(主の異名つながり)と、エピソードも豊富で、人間無骨の朴訥で素直な性格が垣間見られます。
相棒
主である森長可のことを「相棒」と呼ぶ人間無骨。
ともに戦ったという自信の表れや、長可との充実した日々を感じます。
百段
馬当番の時のセリフ。
「百段」は、森長可の名馬のことで、百段もある石段を一気に駆け上がることでこの名がついたそうです。
人間無骨 入手方法
イベント・キャンペーンでの入手
現在の入手方法はイベントでの入手のみとなります。
- イベント連隊戦で入手可能。(初出は2022年12月)
レシピ
鍛刀での出現なし。
ドロップ
ドロップなし。
極にする
まだ極は実装されていません。
実装後に記載します。
▼極についてはこちらの記事を参考にしてみてください。
コメント