「松井江(まついごう)」の由来と来歴をサクッと解説。
松井江は、持ち主である松井興長とその主君・細川家の影響を受けた刀ではないでしょうか。
他の江シリーズと合わせてお読みくだされば幸いです。
打刀 松井江
出典:佐野美術館
号 | 名物 松井江 |
銘 | 朱銘 義弘 本阿(花押) |
種別 | 重要文化財 |
種類 | 打刀 |
時代 | 南北朝時代 |
刀工 | 江義弘 |
寸法 | 刃長 69.4 cm 反り 1.8cm |
所蔵 | 佐野美術館所蔵 |
朱銘「義弘 本阿(花押)」は本阿弥光常によるものです。
裏に「義弘」表に「本阿(花押)」と入っています。
茎に赤い字があるので分かると思います。
本阿弥家が無銘の刀を鑑定し、朱色で作者名を書くことを「朱銘」と言います。
松井江が見られる展示会
佐野美術館「名刀百花」
令和4年1月8日(土)~令和4年2月13日(日)
一般・大学生1,100円 小・中・高校生550円
※土曜日は小中学生無料
佐野美術館
〒411-0838 静岡県三島市中田町1-43
TEL 055-975-7278
号(ごう)
作者や所有者の名前、由来や形状、逸話などのエピソードに関連してつけられる。
愛称のようなもの。
銘(めい)
作者や所持者、製作期間が入れられている。
ブランドやメーカーのようなもの。
松井江の鞘
出典:未来の森ミュージアム
熊本県の松井文庫には、松井江を納めていた「朱塗打刀鞘」が現存しています。
「八代城主松井家の武器と武具」の展示室や作品、解説を掲載した「鑑賞ガイド」(PDFファイル)が公開されています。
「朱塗打刀鞘」は51ページに掲載。
刀工 江義弘
江義弘(ごう よしひろ)は郷義弘とも表記。
「郷」越中国新川郡松倉郷に住んでいたから
「江」本名の「大江」から
江義弘は越中で刀工を学んだ後に、21歳で相州(鎌倉)の岡崎正宗の弟子に。
正宗の極めた「相州伝」という作風を基調とし、地刃ともに明るく冴えた美しさがあることが特徴。
政宗十哲の一人で、江義弘、相州正宗、粟田口吉光は「名物三作」と呼ばれ珍重されました。
江義弘と銘の入ったものは皆無で、本阿弥家(鑑定家)が極めた(鑑定した)もの、銘はなくとも伝承でそう伝えられているもののみ。
そのため偽物が多数出回っているようです。
江義弘の刀は入手困難であり、「郷とお化けは見たことがない」と言われるほど貴重。
江義弘が打った刀
稲葉江、富田江、桑名江、松井江、村雲江、豊前江、五月雨江、
北野江、松倉江、横須賀江、篭手切江、鍋島江、長谷川江、中川江 など多数。
松井江 名前の由来
肥後熊本藩主の「細川家」に仕える家老「松井興長」(まついおきなが)が所持していたことから、松井江と呼ばれる。
「細川」とは、歌仙兼定を所持している細川忠興のことです。
松井興長は、忠興より細川家4代(細川忠興➡細川忠利➡細川光尚➡細川綱利)に仕えています。
松井江の来歴
松井興長が所持 | |
松井家➡徳川将軍家が所持 | |
1685年 | 第5代将軍綱吉の娘「鶴姫」が徳川綱教(紀州徳川家)に輿入れ その際の引き出物になる |
1685年3月 | 本阿弥光常が金200枚の折紙(鑑定書)をつける |
紀州徳川家が所持 | |
1933年(昭和8年) | 紀州徳川家より売りに出され、2390円で落札 |
1935年(昭和10年) | 重要美術品に認定(伊藤平左衛門氏 所有名義) |
1954年(昭和29年) | 重要文化財に指定 (権藤尚一氏 所有名義) |
1961年(昭和36年) | 「正宗とその一門」では佐野隆一氏 所有 |
現在 | 佐野美術館所蔵 |
記録にある一番古いもので、細川家の家老である松井興長が所持しています。
これ以前のことは分かっていません。
その後、将軍徳川家に伝来。
熊本の八代城(やつしろじょう)で隠居していた細川忠興が死去。
松井興長が八代城を預かることとなり、幕府の朱印状(公文書)をもらっています。
元々幕臣であった松井家は、幕府から功績を認められた「一国一城の例外」に当たります。
このやり取りの中で、松井江が将軍徳川家に献上された可能性もあるようです。
嫁入りした鶴姫と共に紀州徳川家へ。
その後、紀州徳川家に伝来。
昭和に入り、紀州徳川家から売りに出されます。
昭和初期の2390円は、現在の価格で500万前後だと思われます。
昭和36年には佐野氏が所有。
現在は、佐野氏の寄付で建てられた佐野美術館に所蔵されています。
「一国一城の例外」とは
「一国一城」とは「ひとつの国に城はひとつだけ」という幕府の命令です。
しかし、藩によっては土地が広くてひとつの城では治めきれなかったり、
幕府(徳川家)と親密だと、城を複数持つことが許されました。
これが「例外」と言われ、ひとつの藩に複数の城を置くことができました。
刀剣男士 松井江
前述のとおり、松井興長の主君は、細川忠興➡細川忠利➡細川光尚➡細川綱利の4名。
松井江の言動には、主君も関係していると思われます。
「例外」(一国一城の例外)は松井家と関わりのある言葉ですし、松井江の「例外」も細川家が起点だと考えます。
「例外」として幕府から重宝された松井興長だけに、松井江もそれを受け継ぎ優秀だと思います。
実務が得意、というところからも察せられますね。
また、血にこだわるところを見るとやはり(色んな意味で)例外と言えるでしょう。
松井興長の主君である細川忠興が「血の粛清」をするほど苛烈な人物でした。
(細川忠興はめちゃくちゃ厳しい人で、敵どころか、従わない家臣も切り捨てていた)
そして松井興長は、細川忠利とともに島原の乱に幕府軍として参戦しています。
島原の乱にて、キリシタンをはじめとした一揆軍37,000人は、ひとりを除き幕府軍によって全滅させられます。
松井江が使われたかは定かではありませんが、キリシタンを切り捨てたと考えると、血にこだわる理由とそのいでたちが一致する部分があります。
その他「血」にまつわることで考えられることとして、松井興長存命中にこのような出来事がありました。
- 細川忠興の妻である細川ガラシャは敬虔なキリシタンだった。
- 阿部一族の立てこもり事件。
松井江が治められていた朱鞘は綺麗な赤で、血を連想させるような美しさです。
貴公子っぽい格好でもあり、瀉血などの西洋医学の言葉も使うことから西洋と関係がある?と思いましたが、どうでしょうか。
細川忠利のワイン好きぐらい?(血と関係ないですね)
血にこだわり、洋風の衣装ということで、吸血鬼がモチーフになっているのかもしれません。
ただ、吸血鬼は血を流したりしないから違うかな。
阿部一族の立てこもり事件とは?
細川忠利の死が近づいた時、家臣は次々と殉死を願い出ます。
阿部弥一右衛門も殉死を願い出ますが、許可がおりません。(忠利が弥一右衛門を疎んじてたから)
しかし「命を惜しんでいる」と誹謗され、阿部弥一右衛門は切腹。
もちろん殉死とはみなされず、阿部家は降格させられます。
これに憤慨した長男の阿部権兵衛は、細川忠利一周忌で髷を切り落とし(非礼に当たる)投獄されます。
これを聞いた阿部一族は屋敷に立てこもりますが、全員が討ち取られてしまいました。
松井江 入手方法
イベント・キャンペーンでの入手
現在の入手方法はイベント・キャンペーンのみとなります。
- 定期的に開催されている「秘宝の里」の報酬で入手可能。 ※年2~3回開催
- シールキャンペーンで引換シールを集めて入手可能。 ※年数回開催
簡単に入手できるのは、シールキャンペーンです。
ログインで引換シールを貯めるだけなので、誰でも入手可能です!
松井江 レシピ
鍛刀での出現なし。
松井江 ドロップ
ドロップなし。
松井江を極にする
まだ極は実装されていません。
実装後に記載します。
極に必要な条件はこちら(全刀剣共通)
- 6面「池田屋の記憶」の池田屋一階(6-4)をクリアする
- 手紙一式・旅装束・旅道具を持っている
●条件を満たしても修行が発生しない(こんのすけが出てこない)場合は、ログインし直してください。
●修行は一度出すと96時間帰ってきません。戻す方法もありませんので注意です。
●極の姿から元の姿に戻すことはできません。ボイスも変わります。気になる方は、2振り育てておきましょう。
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