民家より見出されたのち、本田家の重宝となった桑名江についてサクッと解説。
2021年3月から上演されるミュージカル刀剣乱舞「東京心覚」に出陣する刀剣男士でもあります。
打刀 桑名江(くわなごう)
号 | 名物 桑名江 |
銘 | 金象嵌銘義弘本阿(花押)/本多美濃守所持 |
指定 | 重要文化財 |
種類 | 打刀 |
時代 | 南北朝時代 |
刀工 | 越中(富山県)・江義弘(郷義弘) |
寸法 | 全長86.7㎝ 刃長69.3㎝ 反り2.0㎝ |
所蔵 | 京都国立博物館所蔵 |
江義弘(郷義弘)による在銘の刀は皆無
正宗十哲の一人であり、相州正宗、粟田口吉光と共に名物三作と言われるほどの刀工でありながら銘が入ってないそうです。
江義弘と判明しているのは、本阿弥家が極めたものか伝承以外にはありません。
桑名江 名前の由来
桑名江という名前は、徳川家康の家臣・本田忠勝の子である本田忠政が、土地の桑名からとって名付けました。
鷹狩りに出かけた忠政が農家で休憩したとき、その家に霊刀として祀られていた日本刀を気に入り譲り受けます。
本阿弥光徳に鑑定を依頼、江義弘の作と判明しました。
埋忠寿斎は桑名江の表に「義弘本阿(花押)」裏に「本多美濃守所持」(本田忠勝のこと)と金象嵌銘を入れました。
その後、本田家の重宝とされます。
忠政が伊勢国(三重県)桑名藩の桑名城の城主であった1609年~1617年の間の出来事です。
忠政はその後姫路城主となっています。
本阿弥光徳(ほんあみこうとく)ってだれ?
刀剣の鑑定や研磨を行う本阿弥宗家の第9代目。
豊臣秀吉は本阿弥光徳に「折紙」(鑑定書)の発行を許可します。
「折紙」は刀剣に「価値をつける」ためのものでした。
現在の鑑定証明書のように「真贋を判定する」役割とはまた違うようです。
金象嵌銘(きんぞうがんめい)とは
無銘の刀に金象嵌(彫刻したものに金を埋め込む技法)で刀工名を入れることです。
埋忠寿斎(うめただじゅさい)ってだれ?
山城の国の刀工で埋忠一門のひとり。
古い太刀を打刀に仕立て直す専門家。
金象嵌銘なども施していた。
桑名江の来歴
1609年~1617年ごろ | 本田忠政が鷹狩りの際、民家より見出す。 本阿弥光徳に鑑定を依頼し、「江義弘」作と判明。 埋忠寿斎が金象嵌銘を施す。 |
1665年 | 本阿弥光温(ほんあみこうおん)が代金「金300枚」の折紙をつける。 |
ー | 三河(愛知県)の岡崎藩本多家に伝来。 |
1934年(昭和9年)重要美術品指定 | 本多忠昭氏 |
ー | 宮崎富次郎氏 |
現在 | 京都国立博物館 |
江の刀たちは銘が入っていないばかりに出所が不明だとか、あちこちを転々としたりとか、ちょっと変わった経歴の持ち主が多いです。
桑名江は霊刀として大事に祀られ、本田家へ行った後にも本田家の重宝として大切にされてきたようです。
ちょっとした箱入り娘(息子)のような感じでしょうか。
刀剣男士 桑名江
予想通りのんびりほっこりした性格でした。
刀の来歴を調べていると、刀剣男士の性格がおぼろげに分かるようになってきますね。
自然を愛し、農業に励み、理論的なものの考え方をするようです。
農家で大切にされ、その後の持ち主である本田忠政がとても賢く聡明な人物だったことも関係あるのだと思います。
衣装のゴーグルは鷹狩の際に使うものなのか、ちょっと分かりませんでした。
野外全般での活動に使うものなのかな。
江たちを一緒にしたらすていじれっすんはじめた(笑)かわいい。
豊臣の刀達には好かれていない?
持ち主である本田忠政は、徳川家康の臣下です。
大坂の陣に出陣し、大きな功績を立てたことで桑名藩から姫路城主へと昇進しました。
大坂城の外堀を埋めたり、豊臣軍の首を打ち取るなど、活躍が目まぐるしかったようです。
桑名江はこのことを言っていると思われます。
蜻蛉切さまと呼ぶ理由
これは蜻蛉切の持ち主が忠政の父、本田忠勝の愛槍だったことにちなみます。
本田忠勝は戦上手で武勇伝も数知れず。
現在でも人気武将の一人です。
本田家豆知識
本田忠政の嫡男・本田忠刻は、大坂の陣で滅亡した豊臣秀頼の正室だった「千姫」と結婚しています。
忠刻は眉目秀麗で剣術が得意だったとか。かの有名な宮本武蔵に師事していたそうです。
歴史って複雑で面白いですよね。
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