村雲江(むらくもごう)の由来と来歴 正義と悪の狭間で 刀剣乱舞

2021年2月に実装された刀剣男士、村雲江(むらくもごう)についてサクッと解説。

数奇な運命を持つ刀剣は多いですが、村雲江もまたそのうちの一振りのようです。

もくじ

打刀 村雲江(むらくもごう)

名物村雲江(めいぶつむらくもごう)
無銘(伝義弘)
指定重要文化財
種類打刀
時代南北朝時代
刀工越中(富山県)・江義弘(郷義弘)
寸法刃長68.2cm、反り2.1cm
所蔵個人所蔵

江義弘(郷義弘)は正宗十哲

刀剣乱舞でおなじみ江義弘は正宗十哲(まさむねじってつ)の一人です。
鎌倉時代の刀工、正宗の弟子と言われる10人を「政宗十哲」と言います。

正宗の作風は「相州伝」といわれ、刃紋に「沸(にえ)」がよく出ているのが特徴です。
沸がよく働き、とてもきらびやかです。

村雲江 名前の由来

本阿弥光徳が持ってきた刀を見た秀吉は、刃紋(刃と地の間)にある沸(にえ)を見て「叢雲のようだ」と言ったのでこの名がついたそうです。

叢雲(村雲)はむらがり立つ雲のことで、高積雲とも言います。

沸(にえ)

刃紋にあるキラキラ光る粒子のことで、目で見えるほど荒いものを沸と呼ぶ。

匂(におい)

沸とは逆に、曇りガラスのような粒子の細かいもの、霧のような様を匂と言う。

出典:日本刀剣博物技術研究財団

本阿弥光徳ってだれ?

刀剣の鑑定や研磨を行う本阿弥宗家の第9代目。

豊臣秀吉は本阿弥光徳に「折紙」(鑑定書)の発行を許可します。
「折紙」は刀剣に「価値をつける」ためのものでした。

現在の鑑定証明書のように「真贋を判定する」役割とはまた違うようです。

村雲江の来歴

出典:Wikipedia
豊臣秀吉
前田家
1702年5代将軍徳川綱吉
綱吉の側用人、柳沢吉保家
1871年(明治4年)廃藩により柳沢家が刀剣を処分。
越後の新発田の旧藩士、窪田平兵衛が十本一束で買う。
本阿弥家の「留帳」を見て村雲江だと判明。
1887年(明治20年)大審院評定官、伊藤悌治が250円で買う。
高木復
内田良平
1934年(昭和9年)瀬戸保太郎
1942年(昭和17年)中島喜代一
1952年(昭和27年)重要文化財指定島田和昌
1961年(昭和36年)田口儀之助
現在個人所蔵
出典:名刀幻想辞典

徳川綱吉を経て、柳沢家で一番長い時を過ごしたようです。

しかし明治時代に十本一束で売られるなんて、想像もできないことだったでしょうね。

重要文化財になるほどの逸品ながら、数奇な運命を持つ刀だと思います。

時代の憂き目にあった刀剣はもちろん村雲江だけではありませんが、何とも言えない気持ちになりました。

刀剣男士 村雲江

村雲江は自己評価が低く、自分の価値を見いだせないような性格です。

お金の話題で自分を卑下するようなセリフが多いことから、二束三文で売られたことがトラウマになっている模様。
「安かろう悪かろう」「値段あがった?」「二束三文じゃなさそうだ」など。

また「勝った方が正義」「敵は悪と言い切れるの」などから、悪人と言われた主のことを悪くは思えない気持ちがあるように感じました。

悪と正義。見る側によって異なり、そのどちら側にもなりうるんだ、ということを村雲江は言いたいのかもしれません。

かつての主は悪人?

悪人と言われた主は2人。柳沢吉保と徳川綱吉。

徳川綱吉は「生類憐みの令」などの悪政を敷いた将軍と言われていますし、その側用人であった柳沢吉保も綱吉に取り入り、権力と金を手にしています。

しかしここでは村雲江の紋から見て柳沢吉保のことを指していると思われます。

五月雨江と仲良しな予感。と予想していましたが、やっぱりそうでしたね。

雨さんって五月雨江のことですね。徳川家で共にあったことが村雲江の拠り所となっているようです。

雲さん雨さん呼びが可愛い2人です。ワンワン言ってるのが和みます。

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