ミュージカル刀剣乱舞「東京心覚」で刀剣男士が話していた「稲さん」こと稲葉江についてサクッと解説。
また、2022年4月に刀剣乱舞(ゲーム)にも、秘宝の里の報酬として実装されました。
打刀 稲葉江(いなばごう)
号 | 名物 稲葉江 |
銘 | 金象嵌銘 天正十三十二月日江本阿彌磨上之花押 所持稲葉勘右衛門尉 |
指定 | 国宝 |
種類 | 打刀 |
時代 | 南北朝時代 |
刀工 | 越中(富山県)・江義弘/郷義弘 |
寸法 | 全長89.4 cm 刃長70.9 cm 反り2.0 cm |
所蔵 | 柏原美術館(岩国美術館) |
稲葉江は江義弘の最高傑作と言われる一振りです。
2019年に「稲葉江展」が開催されています。
江義弘/郷義弘
政宗十哲の一人で、江義弘、相州正宗、粟田口吉光は「名物三作」と呼ばれ珍重されました。
江義弘と判明している刀は、本阿弥家が極めたものか伝承以外にはありません。
江義弘と銘の入ったものは皆無で、本阿弥家(鑑定家)が極めた(鑑定した)もの、銘はなくとも伝承でそう伝えられているもののみ。
そのため偽物が多数出回っているようです。
江義弘の刀は入手困難であり、「郷とお化けは見たことがない」と言われるほど貴重。
金象嵌銘(きんぞうがんめい)とは
無銘の刀に金象嵌(彫刻したものに金を埋め込む技法)で刀工名を入れることです。
号
刀にまつわる通名。作者や所有者の名前が付けられることもある。
由来や形状、逸話などのエピソードに関連してつけられる場合も。
通常、由来+刀工名で呼ばれることが多い。
いわば愛称のようなもの。
銘
茎の部分に彫られた文字。作者や所持者、製作期間が入れられている。
ブランドやメーカーのようなもの。
稲葉江(いなばごう) 名前の由来
稲葉江という名前は、西美濃三人衆の一人である稲葉良通(一鉄)の子・重通が所持していたことに由来します。
稲葉重道は、織田信長や豊臣秀吉に仕えた武将で、馬廻りという役職を務めました。
武芸に秀でた有能な武将だったようです。
九州平定や小田原征伐などにも参加、豊臣秀吉の晩年には御伽衆(話し相手)になりました。
馬廻り
大将の馬の周りに付き添って警護や伝令をする役目。
武将においては超エリート、と言ったところでしょうか。
西美濃三人衆(にしみのさんにんしゅう)とは
戦国時代に美濃(岐阜県)・斎藤氏の家臣だった3人(稲葉良通、安藤守就、氏家直元)のことを指します。
織田信長に仕えて以降、こう呼ばれるようになったとか。
元は太刀だったものが本阿弥光徳によって磨り上げられ、打刀に仕立て直されました。
この時、金象嵌を入れられています。
先ほど掲載したこの画像が分かりやすいです。
天正十三十二月日江本阿彌磨上之花押
所持稲葉勘右衛門尉
磨り上げた日付と、磨り上げた人の名前、所持者の名前が入っています。
「稲葉勘右衛門尉」は稲葉重道、もしくは重道の五男・道通の2つの説があります。
本阿弥光徳(ほんあみこうとく)ってだれ?
刀剣の鑑定や研磨を行う本阿弥宗家の第9代目。
稲葉江(いなばごう)の来歴
ー | 稲葉重道所持。 |
1585年 | 本阿弥光徳が磨り上げ、金象嵌を入れる。 |
ー | 徳川家康が500貫にて召し上げる。 |
1600年 | 徳川家康が結城秀康に託す。 |
ー | 松平家(結城家→松平家に復姓)に伝来。 |
1933年 | 重要美術品に認定。 |
1936年 | 旧国宝に指定。 |
1945年 | 中島氏所持。 |
1951年 | 国宝に指定。 |
2015年 | 元所有者が死亡。所在不明に。 |
2016年 | 当時の所有者が文化庁に届け出。所在判明。 |
ー | 個人蔵。 |
2019年 | 柏原氏が購入し、自身が館長を務める岩国美術館(現 柏原美術館)に寄贈。 |
徳川家康の召し上げ
徳川家康が召し上げた500貫は、現在の価値にすると1500万~7500万円!
価格に幅があるのは時代によって価値が違うからだと思いますが、どちらにしても刀1本でこの値段!
当時から、その価値は一目置かれていたのでしょうね。
結城家へ
その後、家康は自身の次男である結城秀康(結城家の養子であった)に稲葉江を託すことになります。
それは関ヶ原の戦いの時でした。
結城秀康に稲葉江を渡し「上杉家を押さえるために宇都宮に残って欲しい」と、家康は我が子にお願いします。
結城秀康はこの命を忠実に守り、徳川家の勝利に貢献します。
この功績により結城秀康は松平家として名乗ることを許され、稲葉江は松平家に伝来していくのです。
本阿弥家でも称賛される
秀康の孫・光長の代には、大村加卜(刀工・外科医)の著書「剣刀秘宝」に押型が収録。
その記録には、本阿弥光温が「日本に一つ二つの道具」であると称賛された話も記載されています。
また、本阿弥家編纂「享保名物帳」(刀剣目録帳)にも記載あり。
「享保名物帳」って何?
徳川8代将軍・吉宗の命により、刀剣鑑定家の本阿弥家が押型を取り作成した、刀剣リスト。
原本はなく、写本・転写本のみが現存。
刀剣男士 稲葉江
髪にインナーカラーが入ってておしゃれさんだけど、声は低音イケボなギャップ。
元主のうちだれがモチーフになっているのかなと考えてみた。
弊本丸では頑固一徹を連呼しているので、たぶん稲葉重道のお父さんの一鉄さんだろう。
家康ではないし、秀康ともイメージが違う気がする(個人の感想です)
たまに、(天下取りは)夢のまた夢かというようなことを言ってしょんぼりしているあたり、親しみやすい。
出陣では武人らしく覇気がある。
篭手切江のアイドル計画に誘われている模様。
内番はアイドル私服ですか?ウェイ系ですか?
通常衣装と印象が違って面白い。
前髪どうなっているのだろう。
天下は夢か
前述の通り、稲葉江を所持していたころの家康はまだ天下取りの目前にありました。
そして、関ヶ原の戦いの折りに結城秀康へと渡った稲葉江は、主とともに天下を見ることはありませんでした。
家康の次男・結城秀康は、徳川家康の次男に生まれ、のちに豊臣秀吉の養子、結城家の養子となっています。
天下をとれる立場であったにもかかわらず、数奇な運命によって天下を取り逃したことが、主を通して稲葉江にも「悔い」として残っているのかもしれません。
家康と側室との間に生まれた秀康は、双子(当時は忌み子とされた)だったという言い伝えが残っており、また正室の怒りを恐れた家康が、秀康を遠ざけたと言われています。
秀康の兄が信長に切腹させられたのち、本来ならば次男の秀康が徳川家の跡取りになるはずでした。
しかし、豊臣秀吉の命で秀康は養子(人質)として豊臣家へ。
徳川家を継いだのは、三男の秀忠でした。
豊臣家の養子となった秀康は戦で功績をあげ、豊臣姓を名乗ることを許されます。
ところが、秀吉に実子が生まれると秀康は再び養子に出されることになりました。
それが北関東にある名家・結城家でした。
こののちは、関ヶ原の戦いにおいて実父の家康が稲葉江を渡し、上杉家を抑えるようにと秀康に託したのです。
富田
江義弘作・富田江のことを指しています。
富田江も国宝であり、稲葉江と双璧をなす「天下第一の江」と称されています。
永遠のライバル、富田江!
頑固一徹
稲葉江の主である稲葉重道の父・良通の号「一鉄」が「頑固一徹」の語源となっていることから。
あるとき、戦で功績を上げた稲葉一鉄は、織田信長から「信」の字を授けると言われたとき、それをすぐに断った。
私はそんなに大したことはしていない、「信」は徳川家康にあげてくださいとにべもない。
主に対しても自分の意見を貫き通す頑固者だったということです。
稲葉江 入手方法
イベント・キャンペーン
- イベント「秘宝の里」で入手可能 ※2022年4~5月イベントで新規実装
鍛刀レシピ
出現なし。
ドロップ
ドロップなし。
極にする
極の実装なし。
極についてはこちらの記事をご覧ください。
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